小唄徒然草 34

今回は、春日とよ年お師匠さんが作曲された小唄です。
昭和39年11月10日「春日とよ年作品発表会」が日本橋三越劇場で開催され、ロビーには花柳章太郎・伊東深水筆の色紙の額と田中角栄より贈られた、訪問着を飾り、舞台は銀と紺青の市松格子を背景にした、豪華な演奏会だったそうで、その会の記念として、伊東深水作詞で、発表された。舞踊小唄「深川3題」をお届いたします。

1、初詣
2、通り雨
3、夜遊び

舞踊小唄「深川3題」として、この3曲とも辰巳芸者が活躍していた深川の花柳界を題材にし辰巳芸者の粋を、綺麗な旋律で唄っています。

朝丘雪路さんや波野久里子さん、日本舞踊の会などで、何回も弾かさせていただきました。
皆、良い曲で素敵な曲です。どうぞお聴きください。

※辰巳芸者(たつみげいしゃ)とは、江戸時代を中心に、江戸の深川(今の東京都深川)で活躍した芸者衆のこと。
深川が江戸の辰巳(東南)の方角にあったことから「辰巳芸者」と呼ばれるが、羽織姿が特徴的なことから「羽織芸者」とも呼ばれる。

「意気」と「張り」を看板にし、舞妓・芸妓が京の「華」なら、辰巳芸者は江戸の「粋」の象徴とたたえられる。冬でも足袋を履かず素足のまま、当時男のものだった羽織を引っ掛け座敷に上がり、男っぽい喋り方。
気風がよくて情に厚く、芸は売っても色は売らない心意気が自慢という辰巳芸者は粋の権化として江戸で非常に人気があったという。
また源氏名も「浮船」「葵」といった女性らしい名前ではなく「音吉」「蔦吉」「豆奴」など男名前を名乗った。

1、初詣

伊東深水 詞    春日 とよ年 曲
二上り

豊年を 祝おう 春着(はるぎ)の 江戸褄は 染めも好みの 六つの花
島田にさした 鳥米(とりこめ)に かける願いも とそきげん
八幡様の 氏子とて くぐる 鳥居も いく年か 引くおみくじの 鼠鳴き
思い叶のおた、良い初詣 見上げる空は つくば音の 音(ね)も
住み慣れた 富ケ丘 木場や佐賀町 新川 アァア ぁ~に
馴染みも深い 仲町で 素足でうった 左褄

※鼠鳴き ねずみの鳴き声をまねて口を鳴らすこと。遊女が客を呼び入れたりするときにする。

※鳥米(とりこめ)稲穂かんざしの事 稲穂のかんざしは「稲穂=豊作」という意味合いが由来とされています。前年の秋に収穫したお米から「稲穂のかんざし」を作り、お正月「松の内」の間だけ挿します。[ 参考サイト

2、通り雨

伊東深水 詞 春日 とよ年 曲
本調子

通り雨 縁は深川 馴れ初めは 借りた庇(ひさし)の 雨(あま)やどり
濡れて寄る身の 勢(きお)い肌 仇(あだ)な 羽織の達引(たてひき)に
ふと、恋風が 連子窓(れんじまど)神立(かんだち)という 仲人の
粋な利生の 結び神 いつか 佃の浜千鳥 泣いた 別れも 有明の
思いも つのる 夏の夜(よ)の 更けて 口舌の 二軒茶屋 エェェンも
憎らしい 明けの鐘

※連子窓  断面方形又は菱形の細長い木材(連子子)を縦又は横に連ねた連子を嵌め込んだ窓である。採光、通風、防犯を目的とする。
※神立(かんだち)神の示現の意で、雷、雷鳴を指す言葉だったが、雷は雨をともなうことが多く、夕立、などのことをもいうようになった(夏の雨)

3、夜遊び

伊東深水 詞    春日 とよ年 曲
三下り

夜遊びが 辰巳へしけて 天の川 猪牙の布団も 夜露に濡れて 
入舟町の 星明り 大島川に 揺らぐ日も なまめく 宵の 
汐見橋 嬉しい首尾も 舵の端に かけし願いの つめ弾きは 
二人が仲の 忍び駒 遠く 洲崎の 漁火も いつしか 消えて
鵲(かささぎ)の 渡せる橋も 影淡く 朝露やどす 牽牛(けんぎゅう)か

【解説】

「深川七場所」(kokontouzai.jp/)と呼ばれた深川周辺の岡場所での男女の逢瀬を唄った小唄

※牽牛 牽牛は天の河を渡って愛する織女に会うという伝説