小唄徒然草44

小唄徒然草44の配信です。
1,小唄 宵の謎(藤十郎の恋)本調子
2,小唄 幻保名(花にかくれて)本調子
3,小唄 緋鹿子(弁天小僧)本調子
の3曲をどうぞ

1,小唄 宵の謎(藤十郎の恋)

本調子
唄・春日とよ紅葉  作詞・哥川亭  作曲・吉田草紙庵

紫の 羽織の紐の結び目に どうしてかたい心やら
案じすごして つい うたた寝の
片敷く袖のひじ枕 まくら行燈のほんのりと
ゆかりの色の小夜時雨(さよしぐれ)
ぬれながら見る 夢占に 
涙でとけた 宵のなぞ。

解釈と鑑賞

[季節] 陰暦仲春二月末
[名題]『藤十郎の恋』新歌舞伎。大正八年(1919年)新暦十月、大阪浪座、菊地寛作。
大森痴雪脚色、中村鴈治郎初演、玩辞樓十二曲(がんじろうじゅうにきょく)の内。三世梅玉のお梶。 元禄十年二月末のある晩、京都四条、都万太夫(みやこまんだゆう)の座附茶屋(ざつきちゃや)宗清(むねせい)では、万太夫座(まんだゆうざ)の弥生狂言の顔つなぎの宴が開かれている。弥生狂言には、近松門左衛門が苦心して藤十郎のために書き卸しの姦通の狂言『おさん茂兵衛で、隣芝居の半左衛門座の江戸役者、中村七三郎座の『傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)』が以上の好評を ねらっているわけであるが、傾城事では名人の藤十郎も、道ならぬ人妻との恋は今度が始めてで、何としても工夫がつかない。 宴席からぬけた藤十郎は、奥の離座敷で悩んでいると、宗清(むねせい)の内儀お梶が入ってくる。お梶は二十年前、宮川町の歌女(うたいめ)として若女形(わかおやま)以上の艶名(えんめい)をうたわれたひとで、その白い清楚な人妻姿をみた藤十郎の心中には、一瞬悪魔の様な智恵が浮び、去ろうとするお棍をよびとめて、切々たる言葉でお梶に偽(いつわり)の恋の言葉をささやき、女がなびくと見てその場を逃去る。真青な顔をして、息を切らせながら酒席に戻った藤十郎 は、二三杯大杯であおってから立女形の霧消千寿(きりがみせんじゅ)に向って『千寿どの安堵めされい。狂言の工夫がつき申した』という。それから七日ばかり過った三月のある日、密夫狂言で大入満員の万太夫座(まんだゆうざ)の楽屋で、お梶は、われとわが命を絶ったのである。

[小唄解説] 小唄は偽りの恋を仕掛けられて、心の貞操を弄ばれたお梶の心境を唄っている。『宵の謎』は、あの夜の藤十郎の謎の行動が理解できず、日夜思いなやむお梶が、その謎が解けた日こそ、貞女お梶の自害せねばならぬ日であった。『涙でとけた宵の謎』は、お棍のこの心境を、心憎いまで唄い上げている。

2,小唄 幻保名(花にかくれて)

本調子
唄・市丸  作詞・近藤春雄  作曲・吉田草紙庵

花にかくれて 姿は見えず 主は識やら振り小袖 
吹くな春風 保名が泣こうぞ 恋の涙の 桜雨

うつら うつらの 菜の花 日和 遊び狂うは夫婦蝶
立つな陽炎 保名の肩に すねてもつれる 乱れがみ

解釈と鑑賞

[季節] 陰暦晩春 三月半ば
[名題]『深山桜及兼樹振(みやまのはなとどかぬえだぶり)』清元所作事。
文政元年(1818年) 三月 江戸都座。三世尾上菊五郎の安倍保名。
四季協変化所作戦(しきななへんげしょさごと)の春の部。

これは、大阪竹本座、人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』
(享保十九年十月・竹田出雲作)の『小袖物狂いの段』を篠田金治が改作、
清沢万吉(のちの初代斎兵衛)が作曲したもので、出語りは初代清元延寿太夫、
三味線 清沢万吉。清元の名曲である。

[あらすじ] 頃は朱雀帝(930年〜946年)の御字(おんのじ)、天文博士加茂保憲(てんもんのはかせ、かものやすのり)が死んだので、その秘書が《金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)の一巻を二人の高弟、芦屋道満と安倍保名のいずれに伝えるかについて宮中で評議した結果、日を定めて、神前で御神籤(おみくじ)を引き、あたった方へ、一巻と家督を譲ることとなる
保憲の養女榊の前は、かねてより安倍保名と父の許した您仲であるが、後室岩手は胸に一物、箱の合鍵を作って一巻を盗み出し、箱の鍵をあづかる娘、榊の前を罪に落さんと図る。榊の前は、後室から玉兎集(ぎょくとしゅう)を盗んで、保名に渡したと責められ、言い訳たたず、家督定めの儀式の日、自割して身の証を立てるが、このため一巻は道満(みちたる)の手に帰する。このため恋人に死に別れ、一巻を失った保名は、悲嘆のあまり、心が乱れ、今は形見となった榊の前の振りの小棚を抱きしめながら、狂いあるく。

[小唄解説] 清元の『保名』は、髪を乱し、紫の病はちまき、長袴で、小袖を肩にかけて、菜の花の咲く、春の野辺を、比翼の蝶の飛ぶのをみる心地で、花道を出る。 恋よ恋、われなあぞらに、なすな恋』の清元の唄い出しと共に、芝居通のうっとりとする場面である。
小唄の『幻保名(花にかくれて)』は、小唄というよりむしろ『保名幻想曲とでも名づけたらよいような近代的な詩であるが、草紙庵が清元の曲節を巧みに逃げて、しかも清元の保名の味わいを出し、小唄として異色のものに仕立てあげたのは見事である。

3,小唄 緋鹿子(弁天小僧・浜松屋)

本調子
唄・先斗町 筆香  作詞・田島断  作曲・吉田草紙庵

緋鹿の子の 
手柄がくづれ富士額
三日月なりに紅さして
『誰だ』名さえゆかりの
弁天小僧菊之助。

解釈と鑑賞

[季節] 陰暦 晚春 三月十七日(三社祭の前日)
[名題]『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなのにしきえ)』(白浪五人男)世話物。
文久二年(1862年)三月市村座、河竹黙阿弥作。このうち浜松屋と稲瀬川のくだりをまとめたものは
『弁天娘女夫白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』の外題がある。
五世菊五郎の弁天小僧は年齢わずか十九歳であったが大当りで、音羽屋の代表芸となった。

[あらすじ] 鎌倉、雪の下浜松屋呉服店の場。時は初瀬の三社祭も近い三月十七日。白浪五人男の一人弁天小僧は、文金高島田の武家の娘に化け、仲間の南郷力丸を供侍に仕立てて浜松屋に乗込み、わざと緋鹿の子の布を万引した様にみせて因縁をつけ、百両を騙ろうとするが、すでに武家と化けて乗りこんでいた五人男の頭梁、日本駄右衛門に見破られるが、かえってそこで『知らざあ言って聞かせやしよう。浜の真砂と五右 衛門が⋯⋯』と開き直り、膏薬代十両をねだってその場を立去る。その夜二人は、日本駄右衛門と呼応(こおう)して浜松屋に強盗に押入るが、抜身をつきつけられた主人幸兵衛の述懐によって、始めて実の親子とわかるが、時すでに遅く、番頭の訴人で捕手に囲まれ、同じ仲間の赤星十三、忠信利平と雪の下から山越しに、稲瀬川に勢揃したのは、暁の七つ(午前四時)、満開の桜の土手を背景に、何れも染衣裳、一本帯し(いっぽんざし)下駄がけ、しら浪と廻し書した番傘をさして、一人一人に名を名乗り、捕手をくぐって落ちてゆく。

[小唄解説] 小唄は何れも浜松屋の場。『緋鹿の子』は、大正十五年九月、草紙庵が、歌舞伎小唄の処女作として発表したもので、場所は鎌倉となっているが、もちろん江戸、初瀬とあるのは浅草神社の三社祭を指し、稲瀬川は隅田川である。『緋鹿の子』から『富士額』までは、早瀬主人の息女に化けた女形の心持で唄い、『三日月なりに』は、弁天小僧が額を番頭の算盤で打たれた疵で、ここから鉄火に凄みをきかせ、『紅さして』は弁天が懐紙で額についた血糊をふき、それを見てキッとなる仕草をあらわすため、べには強くつめて唄う。『誰だ』は番頭丁稚等の弁天をとがめる言葉で、『弁天小僧』は節にならず、菊五郎か羽左衛門の台詞でゆき、『トン』と二の糸を打って(之は煙管で灰吹きを叩く音を聞かせた。)『菊之助』は、長煙管を下におき、その手で左のあぐらをしている足を掻きよせ、左の肌をぬいで見得を切るところで、派手に高く節止りとする。これが草紙庵の構想である。