小唄徒然草42 吉田草紙庵(よしだそうしあん)作曲2

小唄徒然草42 吉田草紙庵の小唄2 の配信です。

今回は、
1、吉三節分 『三人吉三廓 初買』
★ 同じ芝居(子猿七之助)を題材とした小唄2題
2、浦こぐ舟
3、木小屋

の3曲をお届けいたします。

1、小唄 吉三節分

本調子
唄・春日とよ栄芝  作詞・田島断·岡野知十  作曲・草紙庵

月も朧に白魚の 篝も霞む春の夜に 冷たい風もほろ酔の
心持よくうかうかと 浮れ鳥のただ一羽 塒へ帰る川端で
竿の雫か濡手で粟「おん厄払いましょう厄落し」
「ウム ほんに今夜は節分か こいつは春から」
縁起がいいわえ。

解釈と鑑賞

[季節]陰暦晚冬十二月三十日夜 [名題]『三人吉三廓 初買』世話物。
万延元年(1860年)正月市村座、河竹黙阿弥作。
四世市川小団次 の和尚吉三、河原崎権十郎のお坊吉三、八世岩井半四郎のお嬢吉三
三人吉三の白浪の物語に、文里一重の筋をからませたもので、
現在では三人吉三の件のみ舞台に上り、
名題も『三人吉三巴白浪』と改められている。

[あらすじ]舞台は大川端庚申塚の場。幕末頃の大晦日(節分)の夜、辻君(夜鷹)のおとせが、柳原で拾った 百両の金を懐に、朧月の両国河岸を通りかかると、島田鬘振袖お七のこしらえの旅役者お嬢吉三という白浪が、いきなり財布をひったくって大川に蹴落し、百本杭に足をかけて、『月も朧に白魚の⋯⋯』と、 にっこり笑をうかべて立ち去ろうとすると、通りがかりの四つ手駕の垂をパラリとあげ、吉の字、菱の紋附侍上りのお坊吉三が呼とめ、『糯手で栗の百両を、どうぞ貸して貰いてえ』と迫り、二人で立ち回りになるのを、『二人とも待った待った』と割って入ったのは、所化上りの巾着切の和尚吉三で、ここに三人が和解し、互いに腕の血を啜り合って、義兄弟の盟を結び、揃って吉原へ繰り出す。 陰暦では、十二月三十日の夜が節分で、翌一月一日から立春、この夜は『追儺』と言って、家庭では、豆まきの行事が行われた。江戸時代にはこの夜、張りぼての籠を背負い、手拭で顔を包み、 扇子をもって、「御厄払いましょう厄落し」といって門に立ち、金や豆を貰って歩く職業があり、之を 『厄払い』と呼んだ。歌舞伎で、『月は朧に白魚の』という様な、七五調のリズミカルな台辞を『厄払い』と呼んでいるのは、この台辞が節分の夜の厄払いの言葉によく似ているからと言われる。厄払いの声は癖のあるもので、おん厄は下、はらーいましょうと尻上り、厄落しが下の声で陰気にと決まったもので 小唄の『月は朧』は、黙阿弥のお嬢吉三が朧月を見ての名台辞を詰めて作られたもので作曲は草紙庵、昭和6年月節分の直前に作られたもので、月は朧のセリフは十五世羽左衛門調が耳に快い様である。この曲は、場所が大川端というので、前弾きに、ごくゆるやかに上手へ上る送り船の佃の合方用いてゆるかな隅田の流れと初春の宵の情緒を出す。つづいてツドーンッッッン、チ、チンリソリンをかかりに ゆっくり間をもって、ゴーンと本釣(鐘の音)が入る所である。「月も朧に白角の篝もか」までを台詞、『す』から節に替って、『うむ』と四辺に気を配る心、『春の夜に』はお嬢吉三が百両を奪い、いい仕事をしたと鼻唄のつもり。次の『冷たい風もほろ酔の』は、遠音に新内の三味線が、川面を渡って来る趣で、新内は富士松魯中作の『しのぴね』の一節、この新内がかりは鉄火な味を出す様に唄うこと。『心持よくうかうかと』は、本当に心持よく唄ってはいけない。誰しも心の底は人情があり、ああ済まぬ 事をしたという心で、『心持よく』と下から出て唄い、『うか』は思わず上から高くでて、ハット気付いて、 誰か来はせぬかと舞台の上下をじっとすかしてみるつもりで二度目の『うか』を下の声で歌う。 『浮かれ鳥』は、鳥の声を三でッン、ツン、チチリンリンの二の糸の下から弾き、唄はあたって唄い、 『ただ一羽』は鉄火に、『塒』は突込んで、『え帰る』は直ぐ声を替えてすらりと唄うこと。『川端で』は、 一寸厄介で、ここの佃の合方は、前の佃と反対に上手より帰って来る船の佃で、初めはかすめて、次第に 強く弾いて、その船が吉三の眼の前を通って川下にゆく所を、『フン意気な遊びをしているな』と吉三が、 背のびして見送る気持で、『川端(ばぁたぁ)』と唄う。『棹の雫』は、三味線で櫓拍子を弾き、『濡れ手で粟』 は、おとせから奪った財布を懐から一寸出して、フフンと一つ鼻で笑って『うまくいった』という思い入れする所で、『粟(あわ)』をごく鉄火に投げる様に小粋に唄うこと。『おん厄』は、芝居だと上手の 舞台裏から聞えるので、これは唄わずに昔の厄落しの声でゆき、『おとし』という所へテレッテントと弾 込んで、吉三が遠くで聞える厄払いの声をきき『ウム』とうなづき、『ほんに今夜は節分か』と台辞で言 い、終りの『か』を節に替え、『こいつあ春から』と気を替えて、強く台辞でいい、『馬五左(まござ)』という合方 があって『縁起が好いわえ』は派手に節止となり、送りは、前弾と反対に、帰り船の佃をひいて幕切れと する。――これが草紙庵の構想である。

[注釈] 白魚の篝=江戸時代は、隅田川の白魚を獲る為に、鉄の籠に柱をつけて船に立て、籠の中に木を焚 その灯で漁をした。『十六夜』の芝居にこの船が出る。

2、小唄 浦こぐ舟

本調子
唄・春日とよ栄芝  作詞・岡野知十  作曲・吉田草紙庵

タ立の すぎて涼しや白鷺の 片足あげて岸近く
風の前なる 羽づくろい 乱れ乱れし 葦蘆の
嫌ぢゃ嫌ぢゃは 裏のうら
浦漕ぐ舟の揺れ心地 女浪男浪が
打ち上げて また打ち下す

解釈と鑑賞

[名題]『網模様燈籠菊桐(あみもようとうろうのきくきり)通称、子猿七之助』

[あらすじ]深川大島町に住む網打七五郎の伜七之助は、生れつき手癖が悪く、今では小猿七之助とよばれる巾着切であるが、お盆の十三日の夜、永代橋のたもとで、御守殿(奥女中)の滝川の銀簪(かんざし)を引抜く拍子に、ふと滝川の顔をのぞくと、年の頃は二十二三、身内がぞっとするほどの美しさに、むらむらと煩悩の心が起り、それから跡をつけて屋敷を見とどけ、滝川の屋敷へ雇い中間に紛れ込み機会をねらう。七月二十三日の夜、滝川が奥様の名代として、深川砂村に住む御隠居の病気見舞に、鋲打(びょううち)の乗物(女駕籠(おんなかご)の一つ)、供揃 いで出掛けるとき、お供の一人に加えられ、紺の看板に饅頭笠、提灯持(ちょうちんもち)で深川洲崎堤に差しかかると、思いがけぬ烈しい雷雨に逢い、供頭、駕籠の中間は乗物をおいて、散りぢりに避難してしまう。してやったり と七之助は、乗物の戸を開け、気絶した滝川に水をロうつしに飲ませ、胸元を押して介拘し、さてそれから、短刀をつきつけ、逃れようとする滝川の帯に手をかけ、ずるずると上手の番小屋(木小屋)に引込む。許婚のある滝川は、もはや屋敷へ帰ることができず、七之助にせがんで洲崎堤から姿を消し、やがて吉原の三日月長屋に身を沈めて、御守殿お熊とよばれ、七之助と悪の道にふみ入れる。

[小唄解説]小唄は2題とも、洲崎堤における七之助、滝川の色模様を唄った曲となっている。最初の『浦漕ぐ舟』は、昭和六年二月東京劇場、現在の築地の東劇で、十三代勘弥の七之助、森律子の滝川で小猿七之助の 土手場を出すにつき、独吟を小唄でやったらという木村錦花(きんか)の提案で作られたもの。『白鷺』と『嫌じゃ嫌じゃは』は河東節『乱髪夜の編笠(みだれがみよるのあみがさ)』の小唄から採ってあり、
『白鷺の〜羽づくろ い』は、夕立がすぎ去った洲崎堤の岸近く、白鷺が月の出る前の強い風に向って羽繕いをしている情景が表で、裏は白鷺を滝川にたとえ、風を七之助にたとえることができる。河東節に『白鷺は使に来たか、ただ 来たか』とあり、また白鷺は、佃島の住吉神社のお使女という伝説もあるので、作者は『奥方のお使いで洲崎に来た清楚な滝川』を、白鷺に見立てたものであろう。『浦漕ぐ舟』は、海が陸地に入りこんだ入江を 漕ぐ舟の意が表で、裏は七之助滝川の情事を唄ったものである。 まず、本釣のコーンをキッカケに、一の糸をトン(本釣と浪の音の心)。トン、リンリンリン(堤の藪畳(やぶだたみ)、虫の音)。唄のかかりはツーン(之も鐘の音の心)。『夕立のすぎて涼しや』は静かに澄んで聞えるよ うな節。『白鷺の』は虫の音、『片足あげて』は鷺の歩調の心、『風の前なる羽づくろい』は東明節(平岡吟舟作)である。『乱れ乱れし』はカンで、次の合方は小唄『晴れて雲間』の『もやい枕の蚊帳の中』の合方で、『葦蘆の』は『いつか願いをオヤもし』の節。『嫌じゃ嫌じゃは裏の裏』は、河東節をさけてわざと菌八節を使い、『浦漕ぐ舟』からは拍子と浪の音、ゆったりとゆれている心で、『打上げてはァまた』とアぁの一音を入れて唄い、『打ちおろす』は止めの『す』の一字を声をあげて唄い、送りの合方は遠雷と稲妻の心持――これが草紙庵の構想である。
小唄『木小屋』は、浦漕ぐ舟と同時に作られたが、歌詞全体が余りに露骨なので、劇場では唄われず、その年の四月中旬上野の梅川亭で披露されたもの。この前弾はツツトツゾヅドーン(水車の音)、チチチチチチチーン(洲崎の土手の虫の音)チリツンシャンが琴唄のカカリ、『幾ふしの〜暑き』合方は清元お俊の『冴えては月に猶(なを)ゆかし』の合方。『まだ漏る雨』は雨漏の音。『女夫ござ』は立山節の『浮世はなれて奥山住居』の色気のある節で唄い、『引よせられて』は滝川が七之助に力強く引寄せられる所で、カンになり、『手をかりの』は、『手を仮の枕として』の意味 であるから『仮の枕』と聞える様に唄うこと。『蚊の群れる』から、拍子替りになって早間となり、払うよしなき』は滝川が蚊を追うような心で『薄物〜乱れ草』までは恥ずかしい心持で唄うこと。次の合方は水車の水音で『戸の隙のぞく』は虫のすだく節(合方は砧)で、三味線を切りあげ、送りの三味線をつけ、後は『お月様』と唄だけで、月の冴えたのを聞かせるというゆき方で、声のよい人でないと困る所である。

[注釈]
・葦蘆(よし・あし)は、何れも水辺に自生する多年生草木で、秋、うす紫の小花をつけた穂を出す。
・女浪男浪は、高い波を男浪、男波が一つ打つ前に、低く弱く二つ打ちよせる波が女浪
・幾ふしは、節の多い木で作られた木小屋。
・めおとござは、いぐさの茎で編んだむしろ。
 ここでは湿った席を二人のしとねとしての意。
・薄物は、夏向きに薄く織った滝川の着物の意。
・割床は、部屋の真中を枕屏風一つで仕切って、二組以上の客を寝かす事。
吉原の河岸通りの『ちょんちょん格子』と俗称されていた娼家の寝間風景である。

3、小唄 木小屋

二上り
唄・春日とよ紅葉  作詞・岡野知十  作曲・吉田草紙庵

■歌詞3:
・小唄1、 浦こぐ舟  本調子と同様