小唄徒然草 28

今回は、伊東深水画伯の作詞した小唄の特集です。
今回のパート1として、、伊東深水氏の恩師である鏑木清方や山川秀峰などの美人画を題材に小唄の作詞したものをあつめて、小唄でつづる、「美人画の四季」としてまとめました。

美人画の四季

唄・佐橋章子糸・紫実津他

1、手古舞(春)山川秀峰・画(画像はイメージです)

 

画像が見つからなったので、この画像は、イメージです

山川秀峰:画『お夏お定』(青衿会出品)

秀峰の、絵筆に残る手古舞は、『お夏・お定』の伊達姿、唄とう木遣りも華やかに、柳さくらの仲の町、花の江戸町(えどちょう)京町(きょうまち)に、開く牡丹の末広は、昔の名残りと吉原を、偲ぶよすがの声の張り、オンヤリョー。(佐橋章子曲)

解釈と鑑賞

(木村菊太郎著・昭和の小唄その3引用)
この小唄は伊東深水が山川秀峰画伯描く美人画『手古舞』を唄ったもので、お定とお夏は大正期の吉原仲之町の芸者で、二人とも吉原に生れ育ったちゃきちゃきの江戸っ子で、その美声といなせな木遺節を唄う手古舞姿は、世人のよく知る所であった。

『牡丹の末広』は牡丹の花を描いた黒骨の扇である。

この小唄を二世佐橋章子の唄、二世紫美津の糸で聞いたが、紫の三味線は初代井上光子譲りの素晴らしいもので、章子の唄はその華やかな祭囃子の前弾にのって、秀峰の~と高く出て、あとは、荻江節の渋い色気をにじませた独特の唄い方で、、声の張りオーヤリョー⋯⋯が勝れ、正に昔の江戸の名残を偲ばせる佳曲である。

2、指(夏)伊東深水・画

 

紺明石(こんあかし)、素肌にしみる涼風や、好みの髷も佐土屋形(さどやがた)手絡(てがら)は、朱鷺(とき)か薄紫が、ほのかに白き夕顔の、花美しき宵闇に、一際(ひときわ)白き抜き衣紋誰を待つやら竹縁(ちくえん)は指にみとれる人のかげ。(佐橋章子曲)

※紺明石(こんあかし)明石ちぢみの夏着物のこと
※手絡(てがら)は日本髪を結う際に、髷に巻きつけるなどして飾る布のことをいう。
※朱鷺(とき)とき色の事
※竹縁(ちくえん)竹を並べて張って作った腰かけ台。竹製の縁側・縁台。

解釈と鑑賞

(木村菊太郎著・昭和の小唄その3引用)
この小唄は伊東深水の名を決定的にした名作『指』(大正11年平和記念東京博覧会出品)を唄ったもので、夕顔の咲く夕闇の竹縁で、薄物をまとった若妻(モデルは深水夫人)が幸せそうにじっと自分の薬指をみやっている図である。

二世佐橋章子の唄と二世紫美津の糸は、涼やかな前弾から紺明石~と低く出て、あとカンを多用して美しい若妻の姿態をしっとりと描き、伊東深水の名画に劣らぬ美しい曲としている。

3、築地明石町(秋)鏑木清方・画

 

行く水や、出船の汽笛違さかる、棚に残りし朝顔の、花もわびしき紅のいろ、清方ゑがく麗心の、仇めく素足忍び寄る、肌さす冷えに、かこつ身の、羽織の黒や秋袷(あきあわせ)、情も築地明砂町(荻江露友曲)

解釈と鑑賞

(木村菊太郎著・昭和の小唄その3引用)
この小唄は深水の恩師鏑木清方描く『築地明石町』(昭和4年帝展出品作)を唄ったものである。築地は、古い埋立地で明治初年に開かれた外人居留地で、明石町に近い一、二丁目は粋な、妾宅の多いところであった。清方の画題は、花街から引抜かれて囲われた麗人をモデルにし、築地明石町や雪積む宵を描いた。黒紋付の羽織や夜会巻の髪は、明治30年ころに流行した明治風俗である。
時は9月の始め、垣根の朝顔が、末枯れた居留地を両の袖を合わせて小刻みに足を運ぶ麗人の横顔には、いささか頽廃的(たいはいてき)な影が見えるのである。この小唄は伊東深水作詞の小唄『美人画の四季』の秋として、『二世佐橋章子の襲名披露小唄会』で二世佐橋章子の唄、初代三升延の糸によって開曲された。
荻江露友の作曲は、静かな前弾から行く水や~と中音で始まり、清方描く麗人の~を綺麗に、肌さす冷えに~をカン、情(んさけ)も築地明石町~を高音上がりで終る。
作詞・作曲共に勝れて、清方の美人画を髣髴/彷彿(ほうふつ)とさせる素晴らしい小唄となっている。

『築地明石町』は昭和15年2月明治座で新派として上演された。
川口松太郎作・演出4幕7場主役は、下島霜(しもじましも)花柳章太郎であった。
川口松太郎と花柳章太郎は『築地明石町』に立つ夜会巻の麗人を、女髪結のお霜という大正の女にして、『新派の世界』に置いたのである。

4、雪積む宵(冬)鏑木清方・画

 

ぼんぼりの、灯影(ほかげ)淡き奥座敷、書見(しょけん)もあいていつしかに、雪積む宵を一人居の、心うつろにさりげなく、開ける障子も待つ君へ、思ひは募る冬の夜の、女ごころは笹の雪。(佐橋章子曲)

解釈・鑑賞は、前述の築地明石町に準ずる