小唄徒然草 22


今回も、芝洲倉庫の中に、お宝音源が見つかりました。
春日とよ家元の若かりし頃の唄声です。

我々が知っている春日とよ家元の唄声は春日会創設前後(昭和36年前後)の80歳前後の声晩年の唄声で、桐箱で発売されていた「春日とよ小唄全集」です。
その「春日とよ小唄全集」は、自宅で録音したものなので犬の鳴き声や、近所で遊ぶ子供の声が録音されていたり、微笑ましい音源ですが声柄は、年輪が感じられえる、小唄です。

唄い方は、名人の唄い方で、とても私などには、まねできない、小唄です。

歌舞伎俳優で言うなら17代目勘三郎のように舞台を歩いているだけでも、名人の踊りになるような芸に似ています。

今回お聴かせる、春日とよ家元の唄声は、春日とよ師が「春日派」建てた昭和3年付近の47歳ころの声です。

小唄という音楽が世間一般に知られていない時代で、それ以来、とよ師は、時代にマッチした新曲を作るように心がけ、「春日の小唄」と言われ今日まで歌い継がれています。

朝鮮戦争(朝鮮民族の分断戦争)後の好景気が幸いし、小唄界が空前の盛況を謳歌しているさなか日本が高度成長の路線を突っ走っている昭和37年の春、とよ師の80年にわたる生命は、燃え尽きました。

桜の花の満開の中、とよ師は旅立たれました。合掌とよ師のレコーディングは、創流(昭和3年)直後に、コロムビアで初めてレコーディングをし、それから昭和15年に至るまでコロムビアから、SPレコードを出されました。

そのレコードが私の手元にありました。
それを、デジタル処理をし、今回の徒然草で、お聞かせします、曲数が多いので、分割してお届けいたします。

まず今回は4曲、
1、勧進帳
2、与三郎
3、佐七
4、夕霧 です。

夕霧を除いて、他のの3曲は春日会でもあまり聴いたことがない曲です。

私は、脳内出血で三味線が弾けなくなったので今度は、人が唄わない曲を春日会で唄おうかな(笑)・・・
では、春日とよ家元の若かりし頃の美声をお聴きください。

小唄

一、勧進帳(本調子)

吉井 勇・詞 14世 杵屋六左衛門・曲

月の都を立ち出でて 身は篠かけの旅衣
紫 香う りんどうも、
叩く 時雨にうなだれて
今は 露おく 鬼あざみ 
深き情けの 関越して
気も 晴れ渡る 花の道
飛び六法の 蝶ひとつ

二、与三郎(本調子)

市川三升・詞 吉田草紙庵・曲
 
しがねえ恋 の 渦巻も
流れ 流れて 木更津から
めぐる月日も 三年ごし 
見越の松も 色変えぬ
黒 板塀の 源氏店

帰った後は さし向けえ
うむ 妬きやがるなァ
よしてくれ 
そんなんじゃねえゃ

かどに橘 格子に牡丹 
内の様子を 菊の花

三、佐 七(三下り)

英 十三・詞 吉田草紙庵。曲
 
メめろやれ 恋の色糸 一筋に
神田勢いの 勇み肌
行く秋の 虫の音 細る川端に
恨みは 恋の秋潮や
染めて四つ手の 紅しぼり
照らす火影(ほかげ)に 読む文も
涙に にじむ薄墨に
遠見の橋の 影 朧

四、夕 霧(本調子)

木村 富子。詞 春日とよ・曲
 
編笠に つつむ紙子の 
文字のあや 師走の風の
しみじみと 可愛い男に 逢坂の
関よりつらい 世の習い

逢わずにいんではこの胸が

済まぬ 心の 置炬燵
粋が 取持ち ようようと
明けりゃ 夫婦の 松飾り