小唄徒然草38 小唄春日派・家元 春日とよ一代記 連載 3

情もしみる

平山蘆江詞・初代春日とよ曲

 
情もしみる後朝は
昨夜一と夜の待ちぼうけに
寝ない疲れの眼の玉へ
有難すぎた空っ風
出合頭に さても邪慳な砂ほこり。

(新暦晩冬一月・昭和初年作)

 

解釈と鑑賞

この小唄は平山蘆江が予め用意した大正九年の一曲である。
二人の嬉しい出合茶屋を大宮か熊谷あたりに遠出と定めたが、どうした邪魔が入ったのか、とうとうまる一夜を待ち呆けとなった男が、しぶしぶ茶屋を出ると、そんな日に限って朝日の光りさえ邪険で、向かう風がまた上州名物の空っ風で、眼に入った砂埃がどうにもとれない、重ねがさねの泣きっ面を唄ったものである。

 
とよの作曲は、情もしみる後朝は・・・を気をもたせた唄い方として、昨夜一と夜の待呆けに・・・で一転してすっかり気落ちした男を、有難すぎた空っ風・・・を軽妙に、さても邪慳な砂ほこり・・・と重ねがさねの泣きっ面を浄瑠璃調に唄い上げている。
大正期の呑気な時代の面白い男唄である。

 
因に春日とよ福美のレコード『春日とよ全集』では、
無理な首尾(昭和3)
黄楊の櫛・あちらはあちら(昭和4)
降る雪にへ情もしみる(昭和5)と推定している。

(昭和3)無理な首尾してわくせきと(福美)

 

(昭和4)あちらはあちら(福美)

 

(昭和5)情けもしみる(福美)

 

情もしみる後朝は
昨夜一と夜の待ちぼうけに
寝ない疲れの眼の玉へ
有難すぎた空っ風
出合頭に さても邪慳な砂ほこり。

(新暦晩冬一月・昭和5年作)

 
 
作詞の平山蘆江(明治十五生まれ、昭和二十八没)について。

本名花太郎で、長崎に生まれ小売酒屋の養子となる。
上京して府立四中を卒業したのち満州に渡った。
帰国して二十五歳の時、都新聞に入社し以来四十八歳で退社するまでの二十三年間、当時で言う軟派記者として、花柳界に取材した読物を書いた。

いわゆる情話及び街歌(新しい都々逸)の創作はおびただしく、また囲い組みの小噺を書いた。退社後は『左り褄人情』を始め十数冊の本を出し、晩年は埼玉県飯能の天覧山で自炊生活を送り、昭和二十八年四月歿。行年七十一であった。