小唄徒然草 別版5月・5月に教えたい小唄1

五月雨や空(唄・春日とよ栄芝)

三世清元斎兵衛・作曲

小唄五月雨に空

三下り・替手本調子

五月雨や空に一声、時鳥。はれて漕ぎ出す 
木母寺の 関屋離れて 綾瀬ロ
牛田の森を横に見て 越ゆる間もなく 
堀切の 咲くや五尺のあやめ草。

解釈と鑑賞

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解釈と鑑賞

明治二十一年か二十二年、斎兵衛が清元界に帰参して間もなく作った江戸小唄である。
明治期の隅田川の左岸、向島から堀切にかけての風景をのべるのに、ほととぎす 鳴くや五尺の あやめ草(芭蕉)という俳句を借りて、『鳴くや』とあるのを『咲くや』と改め、之を小唄の唄い出しと結びに分けたのが、この小唄の作詞の味噌である。陰暦五月に降る長雨と言うので『五月雨』と名付けられた梅雨が、やっとはれ間をみせたので、向島の水神の料亭『植半』あたりから遊船を出して、綾瀬、堀切と、隅田川を上る船の中で、空に一声時鳥の声を聞く、というのがこの小唄の意味で、『木母寺』は、隅田村にあって梅若塚で知られた天台宗延暦寺の末寺。
『関屋』は古くから歌に詠まれた地名で、現在京成電車の小駅名がその名を伝えている。『綾瀬川』は、隅田川の上流で、隅田村で本流の荒川に注いでいる川の名で、綾瀬ロはその分岐した川口を言ったもの。『牛田の森』は、綾瀬川に入ってゆくとすぐ左手に見える森で、『堀切』は葛飾区堀切町にあり、幕末から聞えた菖蒲園で名高い。

江戸時代は、菖蒲のことを『あやめ』又は『あやめ草』と呼んだが、この小唄の『あやめ草』は花菖蒲のことで、今では、明治神宮の花菖蒲が名高い。その見頃は六月十日頃である。『五尺のあやめ草』については、丈が五尺あるからと言い、吾作という人の作ったものとも言うが、之は何れも誤りで、時鳥啼くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋をするかな。『古今集』よみ人知らずという和歌を、芭蕉が作りかえた句である。
『近世江都著聞集』に、元禄の頃、京の堀川のある僧侶が、芳沢あやめ(春水)という女形の美少年に迷って、寵愛のあまり寺を失ったのを、そのあやめという美少年が年より背が高かったので、芭蕉が戯れに、五尺のあやめと改作したと言われている。作詞者は不明であるが、五月雨に濡れ色鮮かな見事な花菖蒲に、時鳥を配した所がこの唄の身上で、作曲も唄ものんびりとよくまとまった小唄である。この小唄は、のち歌沢(芝派)に採り入れられて、現在まで唄われている。