小唄徒然草・別冊 寒い日に弾きたくなる小唄

この頃は、ことのほか寒さが身に沁みますね。こんな極寒の夜はこの小唄を弾きたくなります。

今弾いてみたんですが、まだ、情景が出せる弾き方に戻っていませんので、とよ喜扇先生の糸にとよ喜菊さんの唄でお聴きください。

この曲は、その時の思い入れで弾き方がいろいろ工夫できる曲です。

今、私が、弾くことが出来れば、歳を重ねた分若い時より、ましに弾けると思いますが病気がまだ治らないのでプロの弾き方が出来ません。

頭の中には、自分解釈の弾き方があるので口三味線では、教えられるんだけどね早く治らないかな~ぁ。
では、お聴きください。

小唄 凍る夜 

久保田万太郎・詞
山田妙太郎・曲

ニ上り
凍る夜の 帯を こぼるる 帯上げの
色こそ しんきなれ 片思い

小説、劇作、演出、俳句、小唄作詞などの分野で知られた久保田万太郎が作詞し、長唄三味線の名人・山田抄太郎が作曲した「凍る夜」という小唄は、凡そ小唄を嗜む人なら知らない人はいない。然しこの小唄の歌詞は、万太郎が辿った人生の縮図を滲ませており、辛くせつない唄なのである。それを理解しないと唄えない。抄太郎が万太郎から歌詞を貰ってから出来上がるまで10年も掛かった唄である。

 久保田万太郎(1889~1963)は、明治22年、浅草田原町の袋物屋に生まれた。明治36年、府立三中に入学、三年生の頃から、誰に教わる訳でもなく俳句を始めた。両親の意に背いて家業をつがず、慶應義塾大学文科へ進み、森鴎外、上田敏、永井荷風らの影響を受け、作家を志した。在学中に創刊された「三田文学」に発表した小説「朝顔」が注目を浴び、継いで戯曲「遊戯」でも劇作家としての才能を認められた。

 大正3年、慶大を卒業した万太郎は、兵隊に取られるのが厭で、俳句仲間と遊蕩に耽り、屡々吉原へ通った。そこで出会ったいく代という吉原芸者にぞっこん惚れてしまった。いく代は、顔が奈良興福寺の阿修羅の像に似ていたという。芸者は、遊女と違って、芸は売るが身体は売らない。その上、いく代には立派な旦那がいて、貧乏学生上がりの手の出せる相手ではなかった。まして万太郎は男前でもなく、結局、片思いで終わるのであるが、このとき味わった女に対するコンプレックスが一生万太郎につきまとうのである。

地味ですがいい唄なので、栄芝師匠に習ってください。栄芝師匠の稽古の時に入れてくれた、音と譜面送ります。