小唄徒然草 17

今回の小唄徒然草は、小唄の代表的な作曲者を紹介してみようと思います。

小唄の起源は、明治時代に清元お葉(きよもとおよう)天保11(1840年)~明治34(1901年)61歳没が創設したと言われている。

清元お葉は、二代目清元延寿太夫の娘として生まれ、6歳の時から初代清元延信に師事。
安政4年(1858年)4代目清元延寿太夫と結婚、夫と協力して明治期の清元隆盛の基礎をつくった。
 
また芸才に秀で、かつ美声で明治時代の音曲界の一名人に数えられ、市川九女八、3代目哥沢芝金と並んで女芸人の三幅対と称された。

小唄を作曲し、お葉が作曲した小唄「散るは浮き」が一番最初にできた小唄と言われている、そのあと、時代が進むにつれ、優れた小唄作曲者が現れ、昭和30年代の一大小唄ブームを作り出した。

小唄作曲者1

吉田草紙庵(よしだそうしあん)

明治8年(1875年)― 昭和21年(1946年)71歳没
大正-昭和時代の作曲家。

30歳頃より小唄の作曲を始め、58歳頃の大正末期には舞台演奏用の小唄を目指して「芝居小唄」を創始,流行させた。
代表作『緋鹿の子』『吉三節分』『三千歳』『木小屋』など300曲

小唄作曲者2

◆春日とよ(かすがとよ)

明治14年(1881年)― 昭和37年(1962年)81歳没
小唄(こうた)春日派の家元。

本名柏原トヨ。東京生まれ。16歳のとき鶴助の名で浅草の芸妓(げいぎ)に出る。
小唄は母親と知己に学び、村幸こと村田久吉の教導により修得した。
1928年(昭和3)一派をたて、従来の江戸前の粋(すい)を貴ぶ好尚に固執せず、都会趣味を強調する近代感覚を推し進めて、新作の作曲に意欲を燃やし、小唄の隆盛発展に寄与した。

1960年(昭和35)小唄界初の紫綬褒章(しじゅほうしょう)を授与され、翌年「財団法人春日会」を発足させて初代会長に就任し、春日派結束の地盤を着実に固めた。

小唄作曲者3

◆中山小十郎(なかやまこじゅろう)

大正4(1915) ― 平成5(1993)78歳没
昭和期の長唄三味線方,作曲家

別名前名=柏 伊佐之助,荻江節名=荻江 露夕(オギエ ロセキ)
経歴長唄三味線方で、1代目柏伊三郎の門弟。
昭和22年1月立三味線に昇進、長く菊五郎劇団の立三味線を務めた。
昭和35年5月5代目小十郎を襲名して独立、中山派8代目家元となった。
江戸小唄の作曲は「河水」「青いガス灯」「待宵月」などもある。

小唄作曲者4

◆四世清元梅吉(きよもとうめきち)

(1932年(昭和7年)8月7日 – )
清元節三味線方・作曲家。清元流二代家元。

松原奏風の名で自身が起こした新邦楽『奏風楽』の演奏・作曲も行い、東明節では東明吟清、荻江節では荻江友次郎の名も持つ。重要無形文化財保持者(人間国宝)。

今回は清元梅吉先生作曲の小唄をご用意してみました。
どうぞお聴きください。