小唄徒然草39

コロナも落ち着きそうな気配なので今年は、各地区、各神社などお祭りが復活されそうですね。
と、いうことで今回の徒然草は徳川家康公が氏子のお祭り「天下祭り」も含め「お祭り」の小唄をまとめてみました。

1.江戸祭り
2.三社祭り
3.神田祭
4.日吉さん
5.祭り
6.夏景色

01_江戸祭り

唄 春日とよ栄芝  伊藤寿観 詞  中山小十郎 曲

本祭り 笛や 太鼓に 誘われて 白足袋姿
ねじり鉢巻 ワッショイワッショイ
祭だワッショイ 今年しゃ 神酒所で鏡をぬいて
揃い浴衣も賑やかに 色と酒との両袖を
つなぐ曲輪の 染模様

隅田川さえ棹さしゃとどく 何故にとどかぬ 胸の内
今宵逢おうとの 仇言に 顔も 紅葉の 祝い酒

頭が音頭で オーンヤリョー

色若衆や手古舞が よい声かけて町々に
江戸生えぬきの あで姿

02__三社祭

唄 とよ稲

解釈と鑑賞

小林栄 詩 春日とよ稲 曲

三社祭はその昔 宮戸川(みやとがわ)に出漁して
浅草寺の本尊観音像を網の中から迎えたという、土師臣中知(はじのおみなかとも)と
その家臣 檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)の
主従を祀った 浅草神社の例祭で、
昔は3月だが、明治より5月17日・18日となった。

「宮出し」とは、
同社安置の「一の宮」「二の宮」「三の宮」と呼ばれる三基の神輿が、
各町内で選ばれた氏子の若者たちの手で担ぎ出され
「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声勇ましく
町内を練り歩く行列である。
小唄は手古舞姿の芸者の一人が祭半纏に神輿を担ぐ勇み肌の、
幼馴染の腕に「○○命」の情人の名を小さく入れ墨した
「入れぼくろ」を見てちょっと嫉妬する所で、
氏子の小林栄が沸き立つような浅草の賑わいを
いなせに描いたものである。

小唄 三社祭

春日とよ稲 唄  小林栄 詞  春日とよ稲 曲

軒花に 網を描いた提灯の 縁も深い 宮戸川
三社祭に風かおる 町の名誇る半纏の 
勢いを見せた宮出しや

一の宮から三の宮 荒れた神輿のその中に 

幼馴染みのあの人の 腕にちらりと
入黒子 命と云う字が 憎らしい

03_祭

唄 春日とよ五千代  池田弥三郎 詩  清元梅吉 曲

思うさま 降って上った 夕影に
灯し初めたる 提対も
何かにつけて 町内の
そぞろ 浮き立つ 祭り前

「まっぴら御免ねえ 祭りにゃ
神輿をかついで廻るんだが
お前んとこの 軒がじゃまっく
せえから とっぱらっちゃぁ
 くんめえか」

04_神田祭(勢い肌)

唄 春日とよ栄芝  作詞 中内蝶二  作曲 三世清元梅吉

きおい肌だよ 神田で育ちゃ
わけて祭りの 派手好み
派手なようでも すっきりと
足並み揃えて 練り出す花山車(はなだし)

オーヤレ引け引け 良い声かけて
そよがしめかけ 中綱
オーヤリョー 伊達も喧嘩も
江戸の花

解釈と鑑賞

神田祭というのは、神田明神の秋の祭礼で、
江戸時代は、9月14日・15日に行われ、
その豪華さは、「山王祭」とともに、
天下祭りと呼ばれ、
1年おきに、本祭りと影祭りを
山王祭と交代で行う習慣があった。
氏子の各町内から
山車・踊り屋台・太神楽などが繰り出し
町内同士の趣向争いが、話題を呼んだ
この小唄は清元『神田祭』から大正十一年二月に
『清元小曲』として作曲され、
今回小唄化されたもので
『きおいはだ』とは気負い又は競いの意味で勇み肌のこと。
前半は神田祭のいなせな若い衆の伊達姿を唄い、
後半は、木遺りを唄っている。
中内蝶二の作詞がよい上に、梅吉の作曲が素晴らしく、
『小唄振り』も加わって大いに流行し、
その後の お祭りの小唄はすべてこの曲を参考として
作詞作曲されている。
特に後半の木遣りの中で、そよが締めかけ中綱よいよい⋯⋯のあと
短い合の手でオーエンヤリョー ⋯⋯と続く所は、
梅吉の苦心の作曲であったという。

小唄 日吉さん

解釈と鑑賞

この小唄は益田太郎冠者が
神田まつり(九月十五日)を『大津絵節』の替唄として作詞した。

これは、神田明神の御祭礼 ところもひろしと氏子中
さるとりは、ドドンーカッ・カ  警固に手古舞 花屋台 
海鬼灯 丹波鬼灯や 鬼灯イ

ハイこれは 新版竹田近江が つもり細工 
お茶台 お茶壺 お茶碗となる
八つ八通りに変る お子様方 御座敷にての
お手遊び 文福茶釜に蛇の目傘 角兵衛に 
太神楽に馬鹿囃子
薄の花車でもいさぎよく 揃いの半纏 ももひき腹掛け
かしらが音頭で、ヨイサエンヤ ラネー。を、
春日とよが歌詞を補足して小唄として
作曲したものと筆者は推定している。
原曲は『神田祭』を唄った もので、
とよと仲のよかった初代浅井丸留子の
洋楽の先生が太郎冠者である所から、
とよがこの曲を戴いた ものであろう。

小唄は六月十四日・十五日の
山王日枝神社(千代田区山王)の祭礼を唄ったもので、
『神田祭』と並んで 「天下祭』と呼ばれ、江戸時代は神田祭と隔年に行われていた。
さるとりとは山車の一番が大伝馬町のかんこどり、
二番が南伝馬町の猿だったので
古典小唄にも〜猿ととりとが先達で⋯⋯がある。
『角兵衛』は角兵衛獅子のこ とである。
春日とよの補詞は 仲々うまく出来ており、その作曲は誠に軽妙。
お祭の売声もうまく入って、いかにも江戸前の気分が横溢し、
春日小唄の中でも指折りの名曲となっている。

05_日吉さん

作詞:益田太郎冠者 / 作曲:春日とよ

日吉さん御祭礼
所せましと氏子中
中に勇みの伊達姿
ちょっと御酒処の一杯に
浮き立つ色の染だすき
猿酉が警固に手古舞はなやかに
海ほうずきゃほうずき
ええ山王様お祭番付
ええこれはお子供衆のお手遊び
八つ八通り十三通りに変る
文福茶釜 蛇の目の傘 角兵衛
太神楽 馬鹿囃子
ちぇちぇんちぇんちきちんち
すすきの山車でも威勢よく
揃いの半纏 対の鉢巻
頭が音頭で オンヤリョウ